OA三種の神器(いつの時代?)

社会人なりかけの当時、OA(オフィスオートメーション)という言葉があり、オフコン、ワードプロセッサ、ファクシミリは「三種の神器」と呼ばれていた。神器とはいかにもオーバーだが、従来の仕事のやり方そのものが変わる(変えられる)ものとして注目を集めたものだった。

すでにワードプロセッサは、パソコンに専用のソフトを搭載したものに置き換わりとうに世の中から消えてしまったが、当時は印刷機能がついいた一体型のものは大変重宝した。ある会社でOA機器営業社員として働いていた頃は見積書の手書きが当たり前、新規、また書き損じがあった場合には一から作らなければならず相当に労力を要した。今となっては古き時代の思い出のひとつである。

しかしながら、この35年ほど前に神器ともてはやされたもののひとつが、昨今注目を浴びることになろうとは想像もしなかった。言うまでもなく新型コロナ感染災害で東京都が都内各地の保健所からのPCR検査結果の収集のためにファクシミリを利用しているという現実である。話を始めて耳にしたときには本当に驚かされた。

新型コロナ災禍が進行する中、日々のデータを即時総合的に分析し、その実態や傾向を掴み必要な対策を遅滞なくとることが求められていることは専門家達の統一見解である。

残念ながら、データはリアルタイム性がなく日々あいまいなものとして公表され、知る権利さえ阻害されている。

日本は、20年前に「5年以内に世界の最先端のIT国家になる」と宣言をしたにもかかわらず今年も同じようなメッセージを発している。ため息が出るばかりである。

大叔父の悲哀

近所に住む姪孫(姉の孫娘)がどういうわけか私に懐いてくれない。
今年の11月で満4歳となるが、すでにこの状態は2年くらい前から続いている。

顔を合わせるなり、顔を背けるばかりか私からできるだけの距離を保とうとして部屋から出てしまうありさまである。どうも私を視界にいれたくないのだ。
なぜこのようになってしまったのか皆目検討がつかない。

過去、当人がいやがることをしたということもない(はず)。
おどかし泣かしたこともない(はず)。

当人にすればそれなりの理由はあるはずである。でも自分からその理由を聞けるはずもない。こうなったらその訳を想像するしかないか?

そう考えながら鏡の前に立つ。それなりにくたびれた自身の顔がある。
「ひょっとして生理的に私の顔を受け入れられないのか?」とも考えた。
いやいやそこまでの風態ではない(はず)。
白髪やシワは相当に増えてはいるがまだまだ捨てたものではない(はず)。
自分にとっては摩訶不思議なことになっている。

この事態から脱却するための何かいい方法はないか思い巡らせてみる。
「何か好きな食べ物をもっていく」
「ぬいぐるみを買い与える」
いやいや、これはとっくにやってみたが全く効果がなかった。

「アナ雪のお面をつけて会う」
これはまだ試したことはないが、お面をはずした時の彼女のショックを想像するに、それは
到底できない。

彼女と笑顔で向き合える日はいつ来るのだろうか?

 

大国のリーダーに共通する自分軸

突然の中国による国家安全維持法が発布、1日もまたず施行された香港。

近年の香港のニュースといえば、若者が中心となって繰り広げられる大規模なデモの風景が主なものだったが、冷静に自分たちの主張に声を挙げる圧倒的(多分そうだろう)多数の人たちがいる一方、破壊行為に走る人たちをセンセーショナルに伝えていた。

しかしこの新しい法律によって香港の姿は一変したようである。それまで許されていた静かな抗議活動でさえ、国家転覆をはかる行為という名の下に逮捕、処罰される対象となってしまった。この国家転覆とは時の政権に異を唱えることは絶対に許さないということを意味する。これまでの言論の自由を基本的な権利としてきた享受してきた国民が、「さあ、今からは違うぞ」と強権を突きつけられ、それが外国人にも及びかねないという現実を悲劇といわず何と言うだろう。

中国との国際関係でギクシャクする米国だが、この二つの国のリーダーが共通にもつ思想は、経済への圧倒的価値観でもある。生活を豊かにしてあげるのだから文句は言うな、という発想で経済的成果を出すことのみに専心する。

両国のリーダーは自分第一主義にはばかることなし、という点でも共通する。例え僅かであっても、対立する人や他国を思いやりその姿勢を示してくれるだろうか?

趣は異なるものの、根深い人権問題を抱える中国と米国。今後の動向に無関心ではいられない。